●実は・・・本日かなちゃん初七日

故人の希望により、すぐには親戚にも知らせず。 兄のうちとうちだけで家族葬、それも火葬式にした。 戒名もいただかないので、特別祭壇も無ければお坊さんもお願いしなかった。 いずれご報告はすることになるが お香典、お花等すべて辞退させていただくことに。 そういうことですので、どうぞお気遣いなさらぬようにお願いします。 でも、うちはいただいているわ・・と思われる方は 今度お会いした時においしいもんご馳走してくださいな^^ そして、これは私の希望で・・お花だけはいっぱいにした。 それもかなちゃんがあまり好きでなかった菊とゆりの花はやめて、 かわいいお花を普通よりもたくさんお願いした。 にゃんちゃんみたいに、メルヘンおばあさんになった(*^。^*) そっちへいったとたんに、じいちゃんとケンカしないんだよ! 2年前の5月17日に道路で倒れて以来、ずっと入院生活で やっと自分の部屋に帰って来ることができたかなちゃん。 祭壇よりも、大切にしていたミシンの上の方が似合う気がしたので、 ここにいてもらうことにした。 そういえば、今日は 『母の日』 長い事 ”お母さん” なんて呼んだことは無かったけど お母さん、ありがとう! 産んでくれてありがと。育ててくれてありがと。 お帰り~♪ おつかれさまでした❤    
               ★以下 覚え書き★ 4日 夜10過ぎ、病院より血圧が下がっているという連絡。すぐに病院へ。    血圧は70前後。鼻にチューブを入れての酸素吸入だったものが、酸素マスクになっていた。    呼吸はとても苦しそう。反応無し。    きのうは手を握ると、かすかだけど握り返していたが、今日はそれも無い。    電話をうけてそのまま飛び出して来てしまったため、到着した兄と交替。一旦うちへ帰る。 5日 午前1時40分 兄より電話。    まだ医者は来ていないが、心電図がまっすぐになり、血圧がゼロになったとのこと。    すぐに病院へ行くと、身体をきれいにしてもらっているところで、外で待つ。    花送葬という文字にひかれて決めた近所の葬儀社へ電話。お迎えを依頼。    かなちゃんの顔、お化粧してもらったのか死人の色じゃなくなっていた。    穏やかな顔で良かった。    出っ歯のかなちゃん、口が開かないように顎の下にタオルをはさんで何とか閉じていた。    やっと楽になれたんだなと思うと、全く悲しくは無かった。だんだん開いてしまう口を    治しながら葬儀社のおむかえを待つ。    午前4時ころ、葬儀社の車でかなちゃんは安置所へ。兄とわたしはそれぞれ帰宅。    午後1時、葬儀社の方が来宅。こちらの希望を伝え、相談しながらいろいろ決める。    これからの流れなど説明をしてもらう。    1月4日が命日のじいちゃんも、年末年始のため7日まで予約が取れなかった。    似たもの夫婦なのか、GWのかなちゃんも8日まで予約取れず。 8日 朝からちゃたのうんちゃん騒動で大騒ぎだったけど、午後2時より無事にかなちゃんの火葬終了。    本当にやっと楽になれて良かった・・という思いしかないので、涙も出なかった。    とにかく、終わった。。。。。 9日 すべて早くすっきりしたいので、葬儀社への支払い、市役所での手続きなどを済ませる。    ところが、年金はじいちゃんの遺族年金があったため、所沢まで行かなくてはいけないらしい。    じいちゃんの時、年金の手続きが一番感じが悪く不親切で不愉快だった!    同じ所沢の年金事務所、憂鬱だな・・駐車場はめちゃ狭しし(ー_ー)!!    仕方が無いから、これは来週に。病院の支払いもまだできないみたいだし・・    やらなくてはいけないことはとっとと済ませ、早く完全に開放されたい!    じいちゃんの時と比べると、お役所も随分と親切になったものだと驚いた!    葬儀社の領収書があると、葬祭費がいただけるらしい。    申請しないともらえないんだけど、じいちゃんの時は知らなかった。    今回、こちらから申請する前に、あちらからご案内があってビックリ!    当時の所沢市役所の感じの悪さ、不親切さといったらものすごかった。    所沢年金事務所のがさらにひどかったってことなんだけどね。    自分自身は大していやな思いはしていないんだけど、連れ合いを亡くしたらしい    お年寄りがけっこう来ていて、ややこしくてわからないのは当然なのに    めちゃくちゃ横柄で、ものすごく上から目線だった。    さんざん順番が来るのを待っていて、やっと自分の番になって質問したら    「そこにみんな書いてあるから! はい、次の人!」 って言われていた。    今だったらしゃしゃり出て文句言うとこなんだけど    20年以上前だから、まだそこまで度胸なかった。悔やまれる。。。    直後に転居した飯能市は感じ良かったから、田舎度の違いなのか?    それにしても、父親、母親、どっちも自分が全部やることになるとは思わなかった。    それなりの年老いた両親でも、亡くした後に悲しくて立ち直れない人もいるようだけど    自分は正直、やっと終わった・・という思いしか今のとこない。    でも、親への感謝の気持ちはもちろんある。あるからこそ今までがんばってきたんだし    時間がたてば懐かしく思う日もきっとくるのだろう。    今はただただ開放されたという、ホッとした気持ちの方が大きい。     いろいろ問題ある性格の母親だったけど、入院後半はいつも気兼ねしていて    必ず帰る時にはありがとうと言ってくれて、かわいいもんだった。    それだけに苦しそうなのはかわいそうだった。    この2年間は、自分が母親に対する人間らしい心を取り戻し、    まともな母娘の関係になるための時間だったのかもしれない。