今日は父ちゃんの63歳の誕生日♪ いちおう、すきやきでお祝い^^
ねぎが入るからあげられないので、牛肉を少し別にチンして、人間のごはん前に、コ茶ごんにもね(^_^)v
お祝いは・・現金!
毎年恒例、明日はお友達と府中競馬場♪ その資金ね^^
ひょっとすると、大金になって帰って来るかも! ってのは・・・甘い(ーー;)
この先はつまらんグチ。
書くことでストレス少しは解消できるかもって思っているだけだから無視してくだされ。
ここ数日、表面的には普通にしているけど、かなり鬱状態。
本来、あまり人の言葉で傷ついたり、おちこんだりはしない方だし、もしそうなったとしても、
一晩寝ればケロッとしているたちなんだけど・・
でも、傷ついたとか、悲しいとか、怒っているとか、そういうのとは違う。
なんて言っていいのやら・・・脱力感っつうか、無力感っつうか・・・・・
相手は全く悪気なんてないってことは、よぉ~くわかっている。
あんまり頭良くないから、言葉知らないし、うまく表現できないや^^;
体調くずすほどストレスを感じていても、人から見れば、
お母さんが元気でいいね、自分の親だからいいね・・ま、そういうことなわけで。
価値観の違う母親との同居の大変さ、相性最悪の母親とだんなの間に入る気苦労、
自分の親のせいで、家族にいやな思いをさせてしまっているという、罪悪感のような感覚、
そんなことは結局誰にも理解してもらえないんだってことを思い知らされた。
世の中、もっと大変な人がいるってことは、もちろんわかっている。
でも、わたしは仏様じゃあるまいし、自分より大変な人のことを思って日々暮らすなんてことができる、
立派な人間じゃない。
確かに、だんなの親の世話をするのは大変だと思う。
その立場にならなければわからない辛さがあると思う。
でも、だからって、自分の親ならいいってどうして決め付けられなくちゃいけないの?
基準は、だんなの親か、自分の親かだけなの???
そんなに大金持ちでもないコ茶家が、なんでしょっちゅうお出かけしているか!
そうしないと、身体がもたないから!
O型気質でいいからかん、おおざっぱ。
それなのに、過去にストレスによる難聴、ポリープの手術の経験有り。
現在は下痢と戦い中(/_;) 自分でもいやになる。。。
ま、キャラ的に昔からそういうタイプじゃないから、余計にわかってはもらえないってのもある。
だって、自分でも意外だもん。
わたしはどちらかと言えば、父親っ子だった。
その父親が15年前に亡くなったとき、葬式前日は、父親の部屋でわたしがいっしょに寝た。
看病などの疲れから葬式当日に体調をくづし、なんと火葬場へ行かれなかった。
それでもその後は、悲しくて辛いとか、いつまでも泣いているとか、全くなかった。
たった一回だけ、前の方から歩いてくる男の人が父親に見えて、涙ぐんだことがあったけど。
今にして思えば、お骨を拾わなかったのが、かえって良かったのかもしれない。
わたしは親に対する感情が、どうやらちょっと普通の人と違うようだ。
普通にかわいがられて育ったんだけどね・・なんでだろう・・・・・
しいて言えば、すべてにおいて兄のができが良かったので、わたしはどうでもいいのねって
ちょっとひねくれていたかもしれない。
自分自身も今まで生きてきた中で、全く気付かずに誰かに辛い思いをさせてしまったことが
きっとたくさんあるんだろうな・・
買い物へ出かけた時、唯一理解してもらえる家族意外の人の車を見かけたら
不覚にも涙が出そうになった。