これは、今日の読売新聞の朝刊の一面に
出ていた記事。
この記事にも出ているように、本人や家族が
希望する場合は、それを非難するつもりなんて
全くないし、保険適用でいいと思う。
考え方は人それぞれなのだから。
わたしは最近、点滴までも延命治療のように
思えてならない。
もちろん若かったり、完全に治る可能性のある
場合は話しは別。
かなちゃんは、両手はもう点滴が無理で、足の甲に針をさしていた。
そして、足の甲が無理になってくると、少し回復した手にまた無理やり点滴。
最近は手も足も無理になると脛だ。
手も足も、赤紫のあざだらけだ。
点滴をやめると、とても苦しむとか、痛みがあるとかなら仕方がないが、そんなことはない。
高カロリーのゼリー状のものを口から少しだけ
食べている。
水分もいちおうほんの少しだけど取っている。
それでは足らないので点滴をしているわけだ。
でも、本来もう身体が要求していないのだから、口から取れる分だけでいることが自然の姿なのでは
と思えてならない。
病気の場合は点滴で補い、回復を助けることが大切だと思うけど、かなちゃんは明らかに老衰。
天寿を全うし、穏やかに旅立とうとしているものを、本人が希望しているわけでもないのに、
無理やりのばすことに何の意味があるのかわからない。
かなちゃんは、早くたけお(じいちゃん)のとこへ行きたいと思っていると思う。
今の状態が苦痛だとも感じていないかもしれないけど、快適だとも思っていないことは確か。
わたしは、以前にも日記に書いたけど、かなちゃんをもううちに連れて帰ることは無理と決断した時点で、どんどんと部屋を片付けた。家具も処分した。
でも、一箇所だけ整理するのを見逃していた場所があった。仏壇の引き出しだ。
かなちゃんが入院してからは、二階の住人のねえちゃんが毎朝かなちゃんの部屋の窓を開け
じいちゃんの仏壇にお線香をあげていた。
先日、確か高校野球の決勝戦のあった日だったな・・
お線香が無くなったので、探していたねえちゃんが仏壇の引き出しを開け、見つけたものがある。
宛名が父ちゃん、わたし、ねえちゃんの名前になっている封筒、かなちゃんからの手紙。(遺書?)
署名のとこには、ちゃんと実印まで押してある。
日付が入っていないため、いつ書いたものなのかはわからないけど、今年の春ころなのかな・・
理由が何だったか忘れたけど、かなちゃんの銀行印が必要なことがあって借りに行ったら
すでにどれが銀行印で、どれが実印だかもわからなくなっていた。
だいいち、それがどこにしまってあるのかもわからなくて、やっとこそこらじゅうかきまわして
わたしが探し出した。それ以来、わたしが保管しているのだ。
さすがの鬼娘、わたくしめも、読んだら泣けた・・・・・・・ねえちゃんも泣けたと言っていた。
今日もまだ目が腫れている。
が! ねえちゃんがわたしの顔を見て、いつも腫れているからわからないとぬかした!!!
前にも目が腫れたとき、同じこと言われたんだよね(ー_ー)!!
病院でかなちゃんにその手紙を見せて、「これ、読んだよ。ありがとね!」 って言ってみたけど
予想通り何も覚えていなかった^_^; ま、いっか・・
それでも、点滴さえも延命に思えるし、早く旅立たせてあげたいという気持ちは変わらない。
そして、今日はmomoちゃんの四十九日。もうそんなにたったんだね・・・・・
takaさん、どうしているかな・・hagiっちょ、お母さんをたのんだよ!
hagiがいてくれて、ほんとに良かったよ❤